1926年 『日本のテレビの父』 高柳健次郎氏

1897年、ドイツの発明家ブラウンによってブラウン管が発明され、1925年にはイギリスのベアードがニポー円盤による機械方式のテレビ実験に成功しました。
その頃、日本では電気工学者の高柳健次郎氏らが当時としては画期的だった電子式装置によるテレビの開発に取り組んでおり、1926年(昭和元年)12月25日、世界で初めてブラウン管による「イ」の字の電送・受像に成功します。
実験装置は、送像側に機械式のニポー円盤を、受像側に電子式のブラウン管を用いた折衷方式でしたが、1933年に、アメリカのツヴォルキンが電子式撮像管「アイコノスコープ」を発明すると、高柳氏らも独自でアイコノスコープを試作し、1937年には、走査線441本、毎秒30枚という当時としては世界最高水準の全電子式テレビ受像機を完成させました。

高柳氏は、その後も日本におけるテレビ放送の実用化に大きく貢献し、『日本のテレビの父』として多大な功績を残しました。

1939年 NHKが日本初のテレビの公開実験を実施

欧米各国でテレビ放送の実用化準備が進められるなか、日本でも1939年5月13日、NHKが日本初のテレビの公開実験を行いました。

そして、1940年には日本初のテレビドラマの実験放送も行われたのですが、1941年の戦争でテレビの研究は中断を余儀なくされ、日本におけるテレビの実用化は、1946年の研究解禁を待つこととなります。



1953年 テレビ放送がスタート!

シャープ製テレビ 1953年2月1日、NHKがテレビ本放送を開始。8月28日には民放のトップを切って日本テレビ ( NTV ) が本放送を開始しました。

しかし、当時はテレビ受像機の価格が高く、なかなか受像機が普及しませんでした。そこで登場したのが『街頭テレビ』です。

デパートや駅、公園などに設置された『街頭テレビ』には多くの人々が集まり、テレビに映し出されるプロ野球、プロボクシング、 大相撲などに熱狂しました。
ちなみに国産第1号テレビは1953年1月に発売されたシャープ製テレビで、価格は175,000円。当時の公務員の初任給は高卒で5,400円でした。

+αの楽学を見る

先頭ページ 前ページ

次ページ 最終ページ